大判例

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仙台地方裁判所 昭和29年(ワ)471号 判決

原告 千葉四雄

右訴訟代理人弁護士 伊藤専左衛門

松嶋泰

高橋万五郎

被告 株式会社河北新報社

右代表者 一力次郎

右訴訟代理人弁護士 三島保

主文

原告の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金五十万円及びこれに対する昭和二十九年十月二十三日より完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払い、且つ、その発行にかかる河北新報朝刊紙上に別紙記載の謝罪広告を、表題の部分は二号活字、広告名義人と名宛人の表示は三号活字、その他の部分は普通活字を用い、右使用活字に相応する行間を保つ全文二段抜きの組方をもつて、掲載すること。訴訟費用は、被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、

被告は、日刊新聞「河北新報」を発行する東北地方最大の新聞社であるが、昭和二十九年八月十三日付第二〇七七二号河北新報朝刊宮城版に、「レールドロ二人組」なる見出しで、「中新田署では東京都足立区千住仲町一一四石炭売買業千葉四雄(三九)松山町八毛馬松山住宅坑夫菊地藤吉(四八)の二名を窃盗の疑いで調べていたが、十二日送検した。二名は四日午前一時ころ共謀で小野田町麓山石神鉱山からトロツコ用レール六十七本=五トン=(五万円相当)を窃んだもの」との記事を掲載報道した。

しかしながら、右記事は、事件がまだ捜査の段階にあつたにもかかわらず、「レールドロ二人組」なる見出しのもとに原告らがそのレールを「窃んだもの」であると断定し、一般読者に対し原告らがレール窃盗の真犯人であるような印象を与える書き方をしたのは、事件の客観的報道の域を逸脱し、故らに原告の名誉を害する意図に出たものである。のみならず、原告は本件記事のごとく窃盗の容疑で中新田警察の取調べを受け送検されたことはあるが、真実レールを窃取した事実はなく、右レールは原告が訴外加藤忠太郎より債務の代物弁済として適法に引渡しを受けたものであり、しかも同レールを石神鉱山より搬出したのは、四日午前一時頃ではなくて同日午前八時頃で、その数量も五噸(五万円相当)ではなくて二噸(二万円相当)にすぎない。従つて、右記事は真実に反していることが明らかである。しかして、右記事は、被告の被用者である橋本弘吉記者が中新田警察署の発表から取材し、高畠直実編集局長の手を経て確定原稿となつたのであるが、およそ、新聞社といえども故意に他人の名誉を害する目的で犯罪事実の報道をすることが許されないのはもとより、専ら公益を図る目的でこれをなす場合においても、報道関係者としては、それが一般読者に与える社会的影響力の強大であることにかんがみ、自ら真偽の程について十分な調査を遂げたうえで客観的事実の報道に終始し、いやしくも他人の名誉信用を傷けないように注意すべき義務があるにもかかわらず、橋本記者は中新田警察署の不正確な発表を軽信して必要な調査をなさず、しかも報道内容を潤色誇張し、また同記者より送稿を受けた高畠編集局長も、その記載形式からみて当然右原稿が客観的事実報道の域を逸脱していることを認識すべきであるのに漫然これを看過して右原稿をそのまま採用したことは、いずれも報道関係者として守るべき前述の注意義務に違反したものである。

原告はこれがため社会より葬り去られ、名誉も信用も失い、その蒙つた損害は計り知れないものがある。従つて、被告は、右記者や編集局長の使用者として、これらの者が業務執行中に犯したことの明らかな右不法行為により原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

仮りに、本件記事の掲載について故意、過失が認められないとしても、原告が事実無根の報道により前記のごとく名誉を毀損されたにもかかわらず、その損害に泣き寝入りせざるを得ないことは、余りにも衡平を失し、社会正義の許さないところである。被告は自らかかる損害の発生に原因を与えたものであるから、右被用者らの過失の有無にかかわらず、原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある、というべきである。≪以下省略≫

理由

被告がその発行にかかる昭和二十九年八月十三日付第二〇七七二号河北新報朝刊宮城版に、原告主張のごとき原告の窃盗容疑事件に関する記事を掲載したこと、右記事は被告の被用者である橋本弘吉記者が中新田警察署の発表から取材したものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

そこで、まず、本件記事を掲載したことについて、被告に名誉毀損としての不法行為上の責任があるかどうかを判断することとする。

およそ、犯罪は本来私人の私行に渉るものであるとはいえ、社会の安寧秩序に関するものであり、またこれに対する司法手続が公正妥当に行われているかどうかも一般の関心事であるから、それが捜索の段階にある場合においても、新聞社がこれを報道することは、社会の出来事を正確に速報してこれに対する公衆の適正な判断を可能ならしめる新聞の公共的使命に照らし、その報道が故らに他人の名誉を害する意図に出たものでない限り、記事の真実性を証明したときは、名誉毀損としての不法行為上の責任を負担しないもの、といわなければならない。

しかして、本件のごとく、記事が警察等の官庁によつて提供された情報から取材されたものである場合においても、新聞が私企業の自由経営に委ねられていてそこに記事選択の自由がある以上、新聞社は、単に記事の源泉が官庁であるとの一事によつて、右真実性立証の必要を免かれ得るものではなく、また、ここにいう記事の真実性の立証とは、新聞社はそれを報道するにあたり、或程度まで記事内容の真偽を予見しまたは予見し得る立場にあつたのであるから、記事が情報提供者によつて与えられた情報どおりに構成されていることの証明ではなくして、記事内容そのものが真実であることの証明を意味するもの、と解するのを相当とする。従つて、新聞社が他人の犯罪容疑に関する記事を掲載するにあたつては、取材記者、編集局長等の報道関係者は、それが多数の者に購読されて誤報も真正の事実として広く社会に流布され、これがため他人に対し社会的に葬り去られる程の致命的損害を与えることが少くない新聞の強大な社会的影響力に思いをいたし、新聞の権威を確立するためにも自ら裏付け捜査をなし、当事者の言い分を併わせて掲載する等記事の正確性、真実性について格段の注意を払い、その表現についても、「警察の発表によれば」等記事の源泉を明らかにするとともに潤色誇張をさけ事実の客観的描写に終始し、みだりに他人の名誉を傷けないよう配慮すべきであるが、しかし他面、日々の出来事を迅速に報道することがまた新聞の重要な任務であり、しかもこの迅速性の要請が他社との熾烈な経営上の競争からいよいよ高まりつつある現状からみて、取材の対象が官庁情報のごとく信頼すべき筋から出たものである場合には、たとえ報道内容が真実に反するものであるとしても、取材当時提供された情報に対し客観的に疑いをはさむべき事情がなく、且つ記事の公正が維持されていると認められる限り、掲載の規模に応じ、裏付け捜査や当事者の言い分の掲載を欠くとしても、真実性についての注意義務に違反するところがなかつたもの、と解するを相当とする。

そこで、本件においては、(一)報道が原告の名誉を害する意図のもとになされたものであるかどうか、(二)また、報道内容が真実であるかどうか、(三)真実でないとすれば、真実性に関する判断についての注意義務に欠くるところがなかつたどうか、ということが問題となるので、以下これらの点について、順次検討を加わえることとする。

(害意の有無について)

(一)  本件記事が原告を害する意図のもとに掲載されたことについては、これを認めるに足る証拠がない。もつとも、本件記事は、前叙認定のごとく中新田警察署の情報に基くものであるのに、その後半において原告らはレールを「窃んだもの」であると、直接話法の形式で報道しているが、かかる書き方は、報道の忠実性に欠けるとろなしとせず、少くとも第一審判決があるまでは被疑者、被告人は無罪と推定さるべきであるという憲法の原則に違背するとの批難を免かれない。しかしながら、証人倉持武雄の証言によれば、この種の書き方は終戦頃まではむしろ新聞の慣例的手法であつたことを認めることができる。のみならず、これを前半の部分と併わせて素直に通読すれば、本件記事は、原告らはレール窃盗の容疑で警察の調べを受けていたが十二日検察庁に送致された趣旨の報道であると認めることができ、原告主張のごとく、それが一般読者に対し原告らが真犯人であるかのような印象を与えたとは到底認られないので、これをもつて直ちに、本件記事が原告を害する意図のもとに掲載されたもの、とはいい得ない。

(本件記事の真実性如何について)

(二) 原告が昭和二十九年八月四日頃訴外菊地藤吉とともに小野田町麓山石神鉱山からトロツコ用レールを窃取した容疑で、中新田警察署の取調べを受け、同月十二日事件が検察庁に送致された事実のあることは、当事間に争いがない。しかしながら、証人野中正志、菊地藤吉の各証言並びに原告本人尋問の結果によれば、右容疑事件は訴外野中正志の告訴に基くものなるところ、その後同訴外人が告訴の取下げをしたことによつて終了したことを認めるのに十分であり、他に真実原告において右レールを窃取したという事実を立証するに足る証拠はない。従つて、少くとも本件において、右記事は、真実に反するもの、と認めざるを得ない。

(被用者の過失の有無について)

(三) 証人橋本弘吉、小野寺恒夫の各証言によれば、本件記事の取材対象である前記容疑事件は、中新田警察署の捜査主任が不在のためその補助者として捜査を担当していた中田巡査により、次席の命を受け、同警察署において、発表されたものであることを認めるに十分であつて、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。従つて、右発表は、警察のいわゆる正式発表であるというを妨げず、その間疑をはさむべき事情の認められない本件においては、前記橋本記者がこれを真実であると信じたことには、相当の理由があつたもの、ということができる。もつとも、本件記事については裏付け捜査の行われていないことは当事者間に争いのないところであるが、成立に争いのない乙第一号証、証人橋本弘吉の証言によれば、本件記事は右発表にかかる事実の要旨をそのまま登載したものであつて、潤色、誇張の跡はなく、且つ、地方版に、しかも見出しの部分は四号ゴジツク体活字で一行、本文は五号明朝活字で九行の記事として報道されたものであることが明らかであるので、これに対する裏付け捜査を欠くとしても、被告の被用者らが本件記事の取材、整理にあたり、右説示の注意義務に違反するところはなかつたもの、と解すべきである。

従つて、本件記事の掲載について、被告に名誉毀損としての不法行為上の責任はない、といわなければならない。

次に、原告の無過失損害賠償責任の主張について判断する。

“過失なければ責任なし”とするいわゆる過失主義の原則が、必ずしも被害者の救済に十全でないところより、一定の場合に、無過失損害賠償責任を認めようとする傾向が近時次第に顕著になりつつあることは、否定し得ない事実である。しかしながら、いわゆる無過失損害賠償責任も、個人の自由を基調とする現行法律制度のもとにおいては、個人の社会的活動の制約を容認し得るに足るだけの合理的理由がなければ許されない、といわなければならない。

いま、本件についてこれをみるのに、被用者の行為に対し使用者にその責任を負担させる民法第七一五条の規定そのものも、使用者が被用者に対する選任、監督の無過失を立証しない限り右の責任を免かれ得ないとしている点において、一種の無過失損害賠償責任を認めたものということができるのであるが、原告の主張するごとく、犯罪に関する記事を掲載して他人の名誉を毀損した場合には、右の規定では不十分であつて、さらに、過失の有無にかかわらず、かかる結果の発生に対して原因を与えたものにおいてその損害を賠償すべきであるとすれば、新聞社は、社会面の大半が犯罪や個人の行状に関する報道で埋められている現状では、莫大なしかも予期し難い出費を余儀なくされ、延いては報道活動を畏縮せしめる恐れなしとしない。しかして、これによつて得られる新聞社の自粛、被害者の救済等の利益と、これによつて蒙る、民主主義の推進力として果す前述のごとき新聞の公共的使命遂行の阻害という社会全体の損失とを比較検討すれば、原告の右の主張は、道徳的ないし社会政策的な要請としてはともかく、法律的主張としては、にわかに採用し難いもの、といわざるを得ない。

よつて、原告の本訴請求は、その理由なきものとして、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九五条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆)

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